top of page
執筆者の写真Tenjin Masajii

78ジジイの                  「ママチャリで日本縦断」の旅

●一昨年は北海道、昨年は能登半島へ     文 舟橋武志                      




                               後期高齢者になってママチャリに乗るのを趣味にした。このまま何にもしないでいると、ずるずる年を取ってしまいそうに思えてきたからだ。一昨年(2019)の夏、思い切って北海道まで行ってきた。

 愛知県一宮市の自宅を出て北上、新潟から日本海側に沿って青森まで行き、北海道へは下北半島の大間から船で渡った。函館からは人間の足のような形をした渡島(おしま)半島の噴火湾側を通って長万部、さらには室蘭へ行き、その先の苫小牧からフェリーで名古屋へ戻ってきた。のんびり、ゆったり、20日間の旅となった。


 ママチャリでの初めての長旅。日本の屋根を越える苦しさも、いまはいい思い出になっている。新潟では40度にもなる炎天下を走ることになり、北海道では失録した尾張藩士らの開拓した八雲にも足をとどめた。書き始めれば切りがないが、ここであれこれ書くのはやめておく。


 大間から函館へ渡る船の中で偶然、オートバイで来ておられたabcRIDEのリーダー、小林さんにお会いした。そこで自転車クラブを紹介され、帰ってから“お試し”で例会に参加させてもらうことになった。当日はロードバイクの中にママチャリが入るという、おかしなツーリングとなった。


 

北海道へ行ったときの楽しさから、今度は九州へ行こうという気になった。しかし、昨年(2020)は聞きなれない新型コロナウイルスの流行で、外出だけではなく他県をまたぐ往来も制約された。九州行きはあきらめたものの、それでもどこかへ行ってみたい。


 新型コロナが治まりかけたのを受け、夏に能登半島一周の旅に出た。その直後、愛知県独自の緊急事態宣言が出されたが、幸いにももう出てきてしてまっており、そのまま旅を続けることにした。琵琶湖東岸を通って北上、日本海沿いに能登半島の先端まで行き、富山からは御母衣ダムを通って郡上八幡・岐阜を経て自宅まで帰ってきた。10泊12日の自転車旅となった。


 10泊12日というのは富山から自宅まで、泊まらずに来てしまったからだ。この日はひるがのの分水嶺を下った湯の平温泉で宿を取ることにしていたが、道を間違えて宿のあたりを通り過ぎてしまった。いまさら坂を上るのも大変だし時間もかかり、キャンセルの電話を入れてそのまま家まで帰ることにした。


 宿では温泉に入り御馳走を期待していたのに、まさかこんなことになるとは。すでにあたりは真っ暗だ。真っ暗だったから、通り過ぎてしまった。


 その後はひたすら暗い夜道を走りに走り、自宅へ着いたときにはすでに日にちが代わっていた。これまでに体験したこともない帰路となったが、その一方では、これで妙な自信がついたのも事実である。この日走ったのは約220キロで、ママチャリでも富山から名古屋まで20時間ほどあれば来られることがはからずも立証された。


●今年は九州、ママチャリはすごい


 ママチャリもバカにはできない。殿様乗りで周囲を眺めながら、マイペースでゆっくり走れる。これがロードバイクだと騎手のように下向きになり、必死にこいで先へと急ぐことになる。


 一日に走る距離は70キロから100キロくらい。ママチャリでも結構、距離を稼げる。遅い分は長期間労働でカバーすることにしており、出発はまだ薄暗いときもあったりした。



 新型コロナが治まった今年(2021)の夏、昨年行きそびれた九州へ出かけることにした。当初は大阪からフェリーで鹿児島の志布志へ行き、そこから帰ってくるつもりでいた。しかし、直前になって楽をして九州へ行くのは軟弱のように思えてきた。


 そこで九州までママチャリで行き、フェリーは帰りに使うことにした。しかも九州への道は短い瀬戸内側ではなく、遠くなる日本海側にした。山陽側よりも山陰側の方がひなびた感じがして面白そうに思えたからだ。


 旅の「トラベル」は「トラブル」から来ているとか。小浜市ではコンビニにスマホを置き忘れ、大田市では台風の最中にシェアハウスを出発し、肝心の九州ではほぼ全日が雨という不運にも見舞われた。しかし、旅をする楽しさはそれらを遥かに上回り、毎日が普段とは違ってお祭りの中にいるような気分だった。


 九州は18日間の旅となった。いずれも帰りはフェリーにしたが、ママチャリで走った距離は北海道も九州も約1400キロとほぼ同じ。ちなみに、能登半島は850キロだった。



 一昨年と今年の2回で日本列島をママチャリで縦断したことになる。しかし、北海道も九州もほんの一部しか走っていない。来年の夏は苫小牧までフェリーで行き、時計の針とは逆回りに根室ー網走ー宗谷ー札幌ー苫小牧と走りたい。再来年はこれまた福岡までフェリーで行き、長崎ー熊本ー鹿児島ー志布志と回ってみたい。そのとき80歳になっているが、果たして実現することができるだろうか。


 こんなにママチャリにはまってしまったのも、ママチャリがあまりにもよくできた乗り物だからだ。いいことを挙げだしたら、それこそ切りがない。


 だれもが免許なしで乗れる、日常生活でいい足代わりになる、故障しにくい、故障しても町の自転車屋さんですぐに直してもらえる、ガソリンを食わない、どこへでもとめられる、駐車料や通行料がいらない、知らないうちに体が鍛えられる……考えれば、まだまだ他にもいろいろありそうだ。


 そうだ、肝心のことを忘れていた。ママチャリは長旅にも耐えられる。頑丈な造りでこれまでの旅の途中、パンクしたことはまだ一度もない。


 ママチャリの唯一の弱点を探すとなると、折り畳んで運べないということか。だから自宅から出発しなければならず、どこへ行くにも長旅となりがち。これも折り畳んで目的地まで行く卑怯な手ではなく、初めから正々堂々とまっとうに走り切る正しい生き方だと言える。


●書き残したくなる、旅の思い出


 旅をすると備忘録としてどこかに書き留めておきたくなる。その思いは次第に募り、昨年1月「自転車大好き!」という小冊子を創刊してしまった。いま第8号を編集しているところだ。


 当初はインターネットに流していた。しかし、ネットはつかみどころのない空気のようなものでしかない。目に見える形にするには古い人間と思われようが、やっぱり紙媒体に優るものはないと思えてきた。


 そこで考え出したのが自転車をテーマにした同人誌のような雑誌だった。同じ思いの人はきっと他にもいるはず。そんな人たちが思い思いに自転車にまつわる原稿を書き、それをまとめれば面白いものになるのではないか。


 妄想はどんどん広がり、やがて確信へと変わった。そしてついに昨年の1月、創刊準備号として0号を発行することになった。キャッチフレーズを「みんなで作るわたしの雑誌」とした。


 しかし、現実となると厳しい。寄稿は少なく、雑誌は売れない。いまは居直って「買った者だけが読める公然の秘密雑誌」をヒョーボーしている。


 でも、やめるつもりはまったくない。自転車に乗れば楽しくなるし、それで旅にでも出れば書きたくもなる。この“暴走”をとめられるのはもう自分の財布の中身だけだ。


 先月には北海道と九州の長旅をまとめた『78ジジイの「ママチャリで日本縦断」旅日記』という本も自費出版した。いずれもわずかな部数でしかないが、記録に残すと一仕事し終えたという満たされた気持ちになってくる。そして、今度はどこへ行こうかとまたまた考えていたりする。


●ママチャリからロードバイクへ?


 一人で悠々と走るのも楽しいが、みんなといっしょに走るのも楽しい。しかし、クラブに入れてもらったものの、正直に言って、ママチャリで着いて行くのはつらい。平坦な道でも遅れてしまい、みなさんに迷惑をおかけしている。


 

昨年12月の例会「年忘れライド」は本当に厳しかった。長良川沿いに走る岐阜ー美濃間の往復約60キロ。一人でならなんでもない距離だが、スピードを要求されると苦しい。


 なんとか走り終えた後、こちらはママチャリで自宅まで帰らなくてはならない。みんなは折り畳んで電車で帰り、どこかで打ち上げでもすることになるか。岐阜駅前で別れてようやく一人になれ、やれやれと思ったものである。


 帰る途中、小便がしたくなり、人気のない脇道にそれた。いざ、しようとしたそのときだった。おろっ、ええっ、前からのはずが後ろから出てしまった。なんてことだ、自分の体を自分で制御できないとは。


 日もすっかり暮れ、木曽川橋に差しかかると、今度は寒さではなが垂れてきた。はなをかんだとたん、おろっ、またもや後ろから出るではないか。ママチャリをこげばこねくり回すことになり、不愉快極まりない事態となってしまった。


 みんなに着いていくのに必死で、それほど疲れていたのだろう。もうママチャリではとても参加できそうにない。日本列島を縦断したことでもあり、これを一区切りとし、これからはロードバイクにしようかとも思い始めている。


 しかし、この年になって、乗りこなすことができるのか。騎手のような格好をしてあのスピードに着いていけるのかと不安にもなるが、その一方ではママチャリでも走れたので、やってやれないはずはないとも思えてくる。なにかにつけてロードバイクが脳裏にちらつき出した今日このごろである。(2021.11.22)



閲覧数:391回0件のコメント

Comments


bottom of page